マリアの心臓にて、人形談話。

前回に引き続き、マリアの心臓での出来事。

佐吉さんと人形についてお話させて頂けたので、

その会話の中から特に感慨深かった内容を書き留めておきます。

 

 

良い人形は本当に作りたいという思いから生まれた人形で、

売れる売れないとか、他人の評価を気にして作っても良い物はできない。

 

小手先ではなくて、人形は心で作るもの。

手は心と繋がっている。

 

 

恋月姫さんの人形は完璧なまでの美しさを持っているが、

それ故に、息が詰まるような緊張感がある。

対して天野可淡さんの人形は、

下手に作ってある所が、心に入っていきやすく、

その人形についての想像が膨らみ、それが愛着となる。

 

 

人形教室では技術の伝承が行われており、

それは伝統工芸的です。

しかし伝統工芸本来の技術の伝承は、

師匠から見て学び、盗むこと。

 

日本の物づくり全てに言えることですが、

弟子は当たり前のように教えて貰おうとしており、

そして、師匠は技術を当たり前のように教えてしまっている。

 

これでは師匠の真似でしかなく、

師匠を超えて自らの表現に辿り着くことができなくなってしまいます。

 

これは戦後日本の最大の間違いであり、

着物や焼き物、生活の道具に至るまで、

全てにあった、手仕事の美(メチエ)が

今では極わずかにまで無くなってしまっています。

 

 

最後に、名刺をお渡しして挨拶をすると、

裏に印刷してある私の人形を見て、

上手に作ってあるとの言葉を頂きました。

それと同時に、美大や芸大を出られたのですか?と聞かれ、

はい。と答えると、

「大学で美術を学びましたという感じから抜けて

自分自身の人形が作れるようになるといいですね」

とご意見を頂きました。

 

今の人形が作れるようになったのは、

大学を卒業し仕事を初めて、

そこで得た経験による影響が大きいと考えています。

しかし、大学や職場で、自ら経験し、自ら学んだように思っていても

それは

やはり教えてもらった技術という事なのでしょうか。

 

当然、過去の経験や学びがあって、今に繋がっていますが、

そこを抜けたところにある

「自分の中から滲み出るような表現」

ができるようにならなくては、と痛感しました。

 

 

札幌、表参道、浅草、渋谷と遍歴を重ねて、

京都・大原に復活したマリアの心臓。

 

展示内容を変えつつ二年間はこの地に留まるそうです。

次回は三浦悦子さんの作品をメインに展示するとか。。

 

また行ける日を楽しみにしています。

 

 

 

※この文章は、佐吉さんとの会話を元に私が感じた事を書いております。

全てが佐吉さんの意見や考えではありませんのでご注意ください。

 

 

 


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